六號酵母(Aramasa Yeast)
「新政」という銘柄は明治維新政府が、その施政の大綱とした「新政厚徳(しんせいこうとく)」の四字から採用したものです。現在は「新政(あらまさ)」及び「厚徳(こうとく)」に分割して商標登録しております。
ここでは1852年の創業時から現在までの当蔵の歴史を9つのストーリーに分けてご紹介しています。
蔵歴(History)
蔵元駄文(Blog):新政酒造専務のブログ
会社概要(Company profile)
嘉永五年(1852)、幕末動乱の時期にさかのぼる話です。秋田市中心地を流れる旭川のほとりで、ひとつの酒蔵が産声を上げました。もとより、この一帯は酒蔵が多くひしめきあう地でありました。上流の雄物川から運ばれてきた穀物は、旭川を経て、この川端地区で荷揚げ・備蓄されていましたので、酒蔵も自然とそこに集まったのです。江戸末期に現れたこの酒蔵は、佐藤卯兵衛という米問屋が開いたものでした。味も上々。「うへえの酒」、また屋号をとって「やまうの酒」として、地元の人々に愛飲されていたとのことです。江戸末期に現れたこの酒蔵は、佐藤卯兵衛という米問屋が開いたものでした。味も上々。「うへえの酒」、また屋号をとって「やまうの酒」として、地元の人々に愛飲されていたとのことです。
卯兵衛が酒蔵を開いてからまもなく、明治維新が起こりました。日本は、倒幕側と幕府側のまっぷたつに別れて、争う事になったのです。佐竹藩は、秋田出身の国学者、平田篤胤の影響もあり、東北ではただ一県のみ倒幕側に立ちました。佐藤卯兵衛もまた、西郷隆盛の掲げる「新政厚徳」という言葉に熱い共感を憶えた一人でありました。「厚い徳をもって、新たな政(まつりごと)を行うべし」―卯兵衛は、この革命のメッセージから「新政(しんせい)」という言葉を、酒の銘としていただくことに決めたのです。
二代、三代は順調に業績を延ばしました。特に四代目である佐吉は、合名会社「佐卯商店」を設立し、「新政」を近代的な酒造組織に変革することに成功しました。さらに、この大正期には、花岡正庸という高名な酒造技術者が秋田にやってくるという出来事もありました。彼の編み出した「長期低温発酵法」は、酒造史上の革命となる発明となり、秋田を銘醸地として押し上げる原動力となったのです。
四代目佐吉には、かねてからの夢がありました。秋田の酒を全国に知らしめたいという願いです。当時、秋田において、良い酒といえば、灘・伏見の酒。地元の酒は、高級料亭などには決して置かれることのない、いわば「格下」の存在でした。ところで、佐吉の息子の卯三郎はたいへんに頭が良く、幼い頃から「神童」と呼ばれておりました。「この卯三郎に一生懸命、酒の勉強をさせたなら、ここ秋田でも素晴らしい酒を醸し出せるかもしれない」佐吉は、息子の卯三郎に醸造家としての道を歩ませることにしました。
卯三郎は、秋田中学校を卒業し、大阪大学醸造科に進みました。ニッカウヰスキーの創始者、竹鶴政孝とともに「西の竹鶴、東の卯兵衛」と、その秀才さを謳われるほどの成績を残したとのことです。帰郷して五代目卯兵衛となった卯三郎は、酒質の改善に取り組みました。米を五割も六割も削るという独自の超高度精白法と、花岡氏の低温発酵法の組み合わせは、まさに現在の「吟醸酒」の源流といえます。こうした取り組みが実を結び、現在よりもずっと酒蔵が多かった昭和初期に、全国新酒鑑評会で二年連続主席を取るという快挙をなしとげ、いつの日からか「酒の神に魅入られた男」と揶揄されるようになりました。
「新政」の酒質を解明しようと、様々な技師が研究に取り組みました。この結果、高度精白米だけではなく、酒を醸し出す蔵付き酵母にも秘密があることがわかりました。こうして花岡氏の弟子であった小穴技師が、五代目卯兵衛と共に、新政のもろみから、新しい酵母を抽出することに成功したのです。これは、後に日本醸造協会に寄贈され、「きょうかい6號(新政酵母)」として発売されることになりました。現存する市販酵母の中で最古の酵母として、現在も全国の蔵元で使用されている、素晴らしい酵母です。
しかしながら、こうした活躍のさなか、五代目卯兵衛は、結核におかされてしまいました。当時、造り酒屋から結核患者が出るなどということは、あってはならないことでした。五代目は、分家の離れに自ら閉じこもり、齢五十二で隠れるようにこの世を去りました。また、この頃、蔵が大火に見舞われるという悲劇にも見舞われました。蔵人の火の不始末が原因で、蔵の母屋から火が出たのです。真っ赤な火の粉が旭川に舞い、黒い煙が川反の繁華街を覆うほどの大惨事となったと、秋田市の記録に残っております。
火の手が落ち着いたあと、敷地に残ったのは、たった3つの小さな土蔵の蔵だけでした。親族会議では、酒蔵を畳んだらどうかという案も出たほどです。ところが、当時、戦争から還ってきたばかりの六代目卯兵衛は、頑として聞き入れようとしませんでした。「先祖伝来の酒造りをやめることはできない」―六代目の心意気は周囲を動かしました。彼を含めた十人の兄妹たちが、先陣を切って蔵の復興を押し進めたのです。皆で資金を集め、材木を運び入れ、工事を行い、なんとか新政は、再び酒造りを行う事ができるようになったのです。
六代目卯兵衛は、酒造りに専念し、「新政」の名はさらに全国に広まりました。平成10年に八十歳で世を去ったこの六代目に代わり、現在、七代目卯兵衛が家業を継ぎ、日々、さらなる品質の向上に努めております。2002年には、創業150周年記念式典を挙げ、新たな挑戦に向った決意を表明いたしました。また、2007年度からは、蔵伝来の六號酵母の優良株を新たに選抜しなおし、主力製品の刷新を図りました。同時に、製造部社員の鈴木隆を若き新杜氏として抜擢。今、さらに古く、かつ新しく、新政酒造が生まれ変わります。ご期待ください!